
2000年以上も前の時代を生き、悟りの境地に至った賢者たちが残した叡智の書には、心が平穏になる方法がいくつも描かれている。
今回は、それらの中から抜粋した言葉をご紹介していきたい。
「人が感覚器官の対象物を思い続けると、
それへの執着が生じる。
執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。
怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生じる。
記憶の混乱から知性の崩壊が生じ、
知性の崩壊により人は破滅する」
(藤田晃『バガヴァッド・ギーター』東方出版)
この言葉の根底にあるのは、対立観念という執着だ。
煩悩による行為を続け、感覚器官を満たし続けることにより生じる対立観念という鎖に縛られ無明に陥る人は、いつの時代でも多いことが分かる。
そこで賢者は、このように助言している。
「対立観念を離れ、常に善性要素にとどまり、
取得と保持を離れ、アートマンに確立せよ」
アートマンとは、自分という存在を創造し維持している根本のこと。
つまりエゴによる自分ではなく、真我である本当の自分を意味している。
「嫌悪もせず渇望もしない人、彼は
永続的な放棄者だと知られるべきだ。
.......対立観念のない人は容易に
束縛から解放されるからだ」
あらゆる私利私欲という欲望に基づく行為を捨て去ることを放棄者と言い、対立観念がなくなることにより心の葛藤という束縛から真に自由になることを示している。
これは受け身や怠惰ではなく、自分を自分たらしめている高次元の存在の崇高な計画に奉仕するということだ。
エゴを超越した領域の声に身を委ねることで、対立観念は自然となくなっていく。
「結果を得ようという思いに基づかず、
執着を離れて好き嫌いなくなされる、
定められた行為は、善性的だと言われている」
はからずも自分の目の前で起きたことは、自分にとって良いと思うことであれ、そうではないと思うことであれ、自身の浄化のために必要なこと。
逃げずに淡々と向き合うからこそ、煩悩潜在印象が滅せられていく。
「.....感覚器官を制し、土と石と黄金を
同等視するヨーギーは、専心していると言われる。
盟友、友人、敵、無関係者、中立者、
嫌悪すべき人、親族を、また有徳の人、
罪深い人を同等だと観ずる人は優れている」
「尊敬も軽蔑も等しいと観、敵も味方も
等しいと観、新たな企てをすべて捨て去る人、
彼は根本要素を超越した人と言われている」
このような視点に立つと、森羅万象は根源的実在より生じた一時的なエネルギーであり、皆、究極的視点では一つだと分かってくる。
寒さと暑さ、苦と楽をも同等視することで、「こうでなければならない」「こうであるべきだ」「普通はこう」「一般的にはこう」という対立観念を俯瞰でき、現象として顕れている物事ではなく、その物事をあらしめている同等なるものを観ることができるようになっていく。
何かに対して苛立ったり、渇望したり、優劣を感じたり、嫉妬心を抱くことは人間として普通だ。
けれど、その普通を長年生きてきた人がふと立ち止まり真理に向き合う時、エゴを超越した視点が拓かれる。
その結果は、神のみぞ知る。
対立観念を離れて行われる行為は心を平穏にし、その者を至高の場所へと導いていくのだから🍀




