行為者主体を手放し、行為の主体と結果を神に委ねるほどに、神がこの身体を通してアクションを起こしていることが分かる。

自我であるエゴからなる「ああしたい」「こうしたい」「こうでなければならない」という制約を超越し、気づいた時にはしかるべきタイミングで行動していて、どのような結果でも受け入れられるようになっていく。

 

良い悪いという二元性に留まらない、中庸の精神を持つ崇高な神の力に対して行為と結果を委ねると、神の豊かさや愛そのものと一体となり真に神と繋がれるのだ。

すると、エゴによる執着が薄れていくので、自分を創造した神との結合が強まる。

自分は、神の豊かさの上で生かされていて、神の豊かさそのものであると分かってくるようになる。

 

それが分かってからの人生は、誠にいとをかしだ。

神が、この身体を通してアクションを起こしていると実感できるから。

すべての行為が神への捧げ物であり、結果も神のもの。いつでも自然体で神聖な流れに身を任せるからこそ、受け取れることが分かってくる。

 

 

エゴによる限界がなくなることは、本当の自分になること。

 

本来の幸と共鳴することなのだから🍀

 

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