意識が、この現象世界での感覚器官を満たす無常の物事から、この世をあらしめている根源的実在に向かう時、意識は宇宙全体へと飛翔する。

現象世界から全宇宙へと広がり、全宇宙の根底をも司る自分の本質と合一するのだ。

 

そこには、普遍の豊かさがある。

 

無限の光明がある。

 

常に充分満たされている、純粋至福がある。

 

それはまさに、あなたの本性であり、帰趨であり、魂の故郷そのものなのである。

 

つまり、あなたは、純粋至福より生じた至高そのものだということ。

 

自我によって、自分の本質を忘れてしまっているだけなのである。

 

 

意識をどこに向けて生きるか。

 

それは、あなたの意志で決められる。

 

何をするかではない。

どこに意識を向けるかを変えるだけでいいのだ。

 

どのような行為を行うにしても、意識をかの一者に定め、結果を気にすることなく、好悪なく、無心に精一杯自分が今すべきことになっている行為を捧げ切る時、行為自体が供物され、心身の浄化と魂の進化向上が進み、根源的実在への回帰の道が着実に敷かれてゆく。

 

逆に、この世的な現世利益を期待して行為を行えば、意識は無限の豊かさであるかの一者ではなく、無常の現象世界に向いているため、生まれ持った潜在印象が浄化されず、永遠にあらゆる姿形で輪廻に囚われ続けてしまうという、ただそれだけのこと。

 

 

誰もが、己の潜在印象を浄化し、非実在たる根源的実在へと回帰するべく生まれてくる。

意図せずともその方向へ、常に導かれているのだ。

 

魂の進化向上に資する出来事が毎瞬起こっており、すべてが、自分の本性を覚知するべく起こっている有難い計らいなのである。

 

 

何をするかではない。

何をしてきたかでもない。

 

どこに意識を向けているか。

 

それは、見た目や装い、持ち物、年齢、性別、国籍、肩書、学歴、経歴、年収、背景、この世的な仮初の価値観などといった、この世的な指針や指標には当てはまらない、万物の根底を支えている普遍の真理との合一そのものなのだから。