「そこから最初の創造の流れが始まった、かの原初のプルシャのみを拠り所とします」

この美しいマントラは、古代インドより伝わるバガヴァッド・ギーター(聖者の詩)の言葉だ。

この世的な物事の悩みを超越し、本源はいつでも一つであることを思い出させてくれる。

 

あなたは日々、「あれが欲しい」「あれを叶えたい」「あれもこれも自分のものだ」「もっと手に入れたい」「他の人と比べて自分の人生はどうのこうの」と、エゴが作り出した私利私欲の波に翻弄されていないだろうか。

物質的なものや歓喜や賞賛など、何かを得てもなお心が落ち着かない人や、常に得たものの喪失を恐れたり、更なる獲得に拘っている人、正当な方法でなくても自らの地位名誉や富を得ようとしてしまう人がいるのは、莫大な煩悩によって行為を行なっているからだ。

エゴの奴隷として。

 

それらは一見、社会的な視点からすると成功者に見えていたり、人生がうまくいっているように思われていたり、何かを追い求めて人生が充実しているように思い込んでいるが、当の本人はいつまでも心が満たされない状態に陥っている。

煩悩と行為を繰り返すという輪廻に取り憑かれていることにすら気づけないで、一生を終える人もいることだろう。

そしてまた、新たな身体に宿り、苦楽を永遠に繰り返す。

 

 

欲があるのは、何ら悪いことではない。

趣味嗜好があるのは素敵なこと。

 

ただし、執着が全ての悩みの根元になっている。

好みはあったとしても、それを自分のものだと思い込んでいるから、悩み苦しんでしまうのだ。

 

お金も物も時間も、空間も、この身体も、あなたが今吸った息も、すべてはあなたを創造した高次元の存在のもの。

 

万物を司る神聖な流れが、いつでもどこにでもあり、宇宙をも成した本源がある。

そこに意識を向け、日々淡々と自身が行うべきことを行なっていれば、迷わない。

徐々にあらゆる煩悩が消失していき、自分にとって本当に必要なことは、崇高な流れの中で全て常に満たされていくことを実感できるようになる。

 

エゴで物事を突き進めなくても、自然にあらゆることが調和し共鳴し、繋がっていく。

自分が望んでいたものは、自分の想像を超えた方法とタイミングで実現していくのだ。

その恩恵に与れるのは、目には見えない流れに順応しているからこそ。

 

 

そこから最初の創造の流れが始まった、かの原初のプルシャのみを拠り所としていれば、あらゆる苦楽を「自分」のものと思い込まず、神聖な存在に捧げることができる。

行為も行為の結果も、プルシャへの捧げ物と思えば、悩みはどんどん軽くなっていく。

 

プルシャという言葉は、神や天使など、あなたがイメージしやすい言葉に変えてもいい。

アメノミナカヌシでも観音菩薩でも、単語の違いを超えて、本質は一緒だから。

 

 

歓喜も喪失も、賞賛も批判も、成功も失敗もなく、いつでもそこにあるのは中庸。

良い悪いを感じ分けているのはエゴ。

 

自分という存在は、大海原に浮かぶ波だ。

一時生じて、時が来れば本源へと帰っていく。

そして、波として生じている間に手にするものや目にするものも、本源のもの。

 

そう思えるようになったら、あなたの悩みはスッと消えていく。

今後何かに恋焦がれたり、思い悩むことがあったとしても、その重荷をも捧げることができる。

 

あなたにとって必要なことは、何かしらの方法で確かに満たされていく。

神聖な流れに奉仕するからこそ、受け取れるものがあるのだから🍀

 

おすすめの記事