純白な人はいない。闇がない人もいない。

完璧な人や汚れがない人などこの世には一人もおらず、完璧ならば生まれてくる必要がない。

 

見せていないだけで、誰もが学びの途中。

光の面だけでなく闇の面もあるものなのだ。

 

闇と言っても、その表現は多彩である。

 

例えば、いじめをしたこともなければ、いじめられたことがない人であっても、いじめられている人を助けず見て見ぬふりをしてしまった人。

公共の場で言い争いをしている人たちを、自分には関係ない、巻き込まないでとばかりに避けてしまう人もいるだろう。

 

安いものを高く売り、高いものを更に高く売る。

正当で誠実な仕事をせず、相手が欲しいと思うように感覚器官を誘い、それが正当な手段であれ不正な手段であれ、世のため人のためと口先だけは立派に言いつつも、自分の懐を潤すことしか考えていない人。

 

子供のためと言いながら己の自尊心のために、子供の意見よりも自分の価値観であらゆることを決めてしまう人。

 

自分はこう思うという気持ちがあるのに、家族や友人、周りの声を気にして、本意とは全く異なる言動をしてしまう人。

 

場所を弁えず、相手を思い遣ることもなく、我をも忘れて怒りをぶちまけてしまう人。

 

表向きは良い人のようで、裏では悪口、陰口、不平不満、愚痴が絶えない人。

 

言葉や態度に出さなくても、自分の方が誰よりも優れているのだと思い込んでしまっている人。

 

色々な闇がある。

 

だから、

「あの人はうまくやっているのに自分は...」と卑下する必要もない。

 

純白な人もいない。

赤ん坊ですら、生まれ持った潜在印象が感覚器官を通して、まだ活性化されていないだけなのだから。

 

 

誰もが、光も闇もある。

見せていないだけで、常に陰と陽のエネルギーバランスと共にいるのだ。

 

目に見えるものが全てではない。

完璧な人などいないのだから、どのような感情感覚を感じる出来事があっても、そのような自分をも愛し、許し、受け入れてあげよう。

 

 

誰もが学びの途中。

そう思えたら、自分を含め、あらゆるものが尊く観えてくるのだから🍀

 

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