ヨーガは、神との結合を意味する。
よく知られている美容健康ヨーガや、難しいポーズをどれだけ行えるかを見せ合うものではなく(それはそれで素敵なことだ)、本質は、毎瞬を神に捧げ、ゆだね、導かれるという行為を通して、自分の内側で神を感知すること。
自分という存在の奥にある万物をも成した存在と共鳴し、その繋がりを強固にすることだ。
つまりヨーガは、魂を磨き、進化向上させる修練そのもの。
あなたと神との繋がりを真に感じることができる神聖なものであり、ほんとうのあなたが開花していく道。
自信、勇気、元気、愛、健康、自由、心地よさ、物質的豊かさ、精神的豊かさ、人生の目的など、この世の悩みはヨーガを通して解決することができ、気づいていようといまいと、毎日がヨーガを行える場になっているのだ。
ヨーガは、いつでも誰でも、どこにいてもできる。
例えば、いつもなら怒ってしまうような場面に出くわした時には、まず深呼吸をしてみよう。
そして、普段とは違う視点で物事を捉えてみる。
「何事もお互いさま」と感じてから、伝え方を変えてみたり、表情を変えてみたりなど、言動を今までのあなたではないあなたにしてみるのだ。
他にも、自分がやるべきことでも見て見ぬふりをしてしまうことがあれば率先してやってみたり、自分のいいところや相手のいいところを積極的に見つけてみたり、自然界の有り難さやお恵みを心から感じてみる。
自分を愛し、許し、受け入れるというのもいい。
この視点があると、自分以外の万物に対しても徐々に寛容になっていく。
あらゆることが、神の恩寵によって運ばれているということが見えてくるからだ。
このように日々何か一つでも、今までのあなた(エゴ)ではない真のあなた(魂)の視点で思考し、行動してみるのだ。
ただし、執着はしてはいけない。
「これをしたら、〜が得られるだろう」というのは、結果に執着して行為を行っていることになるから。
淡々と、今、目の前にあるあなたができることを行い、すべての行為と結果をあなたを成した神に捧げる。
これが真のヨーガであり、神との結合。
「結果をありありとイメージしなさい」という考えもある。
確かに、ポジティブな思考はポジティブな物事を引き寄せる。
想いが波動となり、潜在意識に刻印され、その人から放たれるオーラが変わることで、それに同調する物事を引き寄せるという過程も真理だ。
しかし、エゴによる欲が強引に物事を現実化してしまうこともしばしば。
そのような時は大抵、得た結果に執着する。
尚且つ、得たものの喪失を恐れることがエゴの特徴だ。
何かを成し得て束の間の幸せを味わっても、なぜか心は騒ぎ落ち着かず、欠落に目が向き、外側にある何かで自分を埋め取り繕うとする。
ほんとうの自分(真我)と共鳴していないから、外側にある何かで自分を証明しようとしてしまうのだ。
外側にあるものは、常に変化する。
いつでも、あなたがどこにいても何をしていても、普遍のものこそが真理。
それは、あなたの中で煌々と輝き、あなたと共鳴するのを待っている。
どのような出来事が起こっても、エゴが歓喜することであれ消失することであれ、そこに執着しなくなった時、ヨーガが行えていることになる。
何を得ようと得まいと、自分の人生にとって必要で意味があることは、神の時間軸と崇高な流れの中で満たされていくという確信は、ヨーガを通してやってくる。
ここには、心の平安と平静さが常にある。
あらゆるものとの縁起と奇跡、感謝の気持ちが自然に湧いてくるようになる。
自分で自分の機嫌を取れるようになり、気づけば自分を愛し必要としてくれる環境で自分を存分に活かし、今世のお役目を果たせるようになっている。
物質的にも精神的にも満たされるのは、自然なことなのだ。
あなたは生まれながらにして、神によって守られ導かれている。
けれど、今までの人生で積み重なった煩悩と前世からの煩悩、今世の履修課題である宿業、プララブダ・カルマによって、神との結合が見えなくなっているだけなのだ。
誰にでもある神との結合を思い出し強固にするには、行為と結果に無執着になるしかない。
どのような出来事に対し、どのような感情を感じても、最後はその出来事と感覚を神へ捧げる。
もし、願望や猛烈に叶えたいことがあるならば、その感情を尊重し、愛し、受け入れ、理想をイメージして、その行為と結果を神に捧げるのだ。
そして日々、直観を通して降りてくる感覚に導かれていけばいい。
実は、あなたの猛烈な願いが叶うこと自体が、カルマのこともある。
「その結果を得ても、あなたは平静でいられますか?謙虚で愛を持って生きられますか?皆と幸を分かち合えますか?」というカルマだ。
ここまでお伝えしてきヨーガに加えて、大切なことがある。
それは、一日の中で数分でもいいから身体の動きを止めて目を閉じ、思考を静止させること。
呼吸に集中して言語域を超越し、今ここにいることを感じる。
これをヨーガ用語では、チッタ・ヴリッティ・二ローダハという。
息の流れを意図的に調整していくプラーナー・ヤーマという調気法もあるが、今回は心身を落ち着かせる時間を作るということから始めてみよう。
このように、日々はヨーガそのもの。ヨーガの実践場。
気づいているかいないかだけなのだ。
気にしていないとただ日々が過ぎていき、何か特別な時だけが最高の日と考えがちだが、毎日が、毎瞬がヨーガ(神との結合)であると知ったならば、見える世界が変わってくる。
言動が、神が創造した本来のあなたに変わっていく。
それは、神の不可思議力による無限の豊かさと共鳴するということ。
あなたが神聖になればなるほど、去るべきものが去り、来るべきものが容易に来るようになる。
普段から執着せずに神に捧げているからこそ、この世的な幸が来ても臆せず受け取れるようになり、エゴによる大変だと思うことが来ても動じなくなっていく。
これは、人生の苦悩が軽減されるということでもある。
人生のあらゆる場面がヨーガ。
あなたは今日、どのような修練を行うだろうか。
あなたはいつどこにいても、神と繋がっているのだから🍀