あらゆる現象を感じ分けているのは、あなたのエゴ。
そして、苦楽を超越した真智もあなたの中にある。
人生の中で思い悩むことや、空虚感、虚無感になること、時に絶望感や悲壮感に襲われることがあったとしても、究極的にはあなたがそう感じているだけなのだ。
物事の奥深くにあるのは、いつでも中庸。
良い悪いもなく、毎瞬がただあるがまま、時が流れているにすぎない。
日常を見ていると、いかにエゴで物事を判断しているかがよく分かる。
例えば、結婚をしているから成功なわけでも、子供を育てているから偉いわけでもない。
家を所有しているから凄いわけでもなく、地位名誉を得たから謙虚さを忘れていいわけではないのだ。
独身でも世の至高善のために尽くす人もいれば、子育てをしたことがなくても親や子供の気持ちに寄り添える人もいる。
所有物や肩書、背景に関係なく、愛を持って接することができる人もいれば、この世的にどれほど地位名誉を得ていても自分が成すべきことを日々淡々と行なっている人もいる。
だから、あなたはあなたの人生でのお役目を果たせばいい。
他の人と比べてどうかなど、幻夢にすぎないのだ。
人それぞれに、自身の魂の成長に相応しい姿に宿り、心身を浄化するに適した環境にいる。
つまり、深い意味では、誰が偉いとか何をしたら凄いというのもないのだ。
この世的な社会のダルマでの視点でそのような指標があったとしても、自身の行うべきダルマや人間として行うべきダルマには、関係のないこと。
ダルマは、それをその者としてたらしめるもの。
あなたという存在だからこそできることがあり、他の動植物ではなく人間として生まれたからこそ成すべきことがある。
それが、ダルマだ。
このような考えは、2000年以上前の時代を生きた賢者たちが既に悟り、時を超え国を超えて語り継がれてきた叡智そのもの。
そしてそれは、あなたの中にもある。
今あなたは、真知を知った。
これからは、真知を真智に自分で変えていけばいい。
全身全霊で今自分が成すべきことを、事の大小を問わず無心に精一杯取り組めばいい。
業が果たされた時、進むべき道が見えてくる。
というよりは、真智が自分の中にあることを実感でき、崇高な流れの中でいつでも満たされていることを実感できるようになる。
そして、あらゆる苦悩や重圧、重荷から解放されて、自由になっていることに気づくことだろう。
固定観念や執着を手放すことで空いたスペースには、あなたが本来受け取るべき幸や豊かさを存分に受け取れるようになる。
真智に向き合うからこそ、見えてくるものがある。
その大いなる安心感と足るという感覚は、言葉では言い表せない感覚だ。
あなたの中に、真智がある。
生まれた時からずっと、そう、幾千回もの転生を経た今、あなたはそれを極める段階にきている。
魂がそれを求めているから、真智について執筆されたものを引き寄せたのだ。
今日という日が、あなたの人生の転換点となるだろう。
真智を極めるほどに、ほんらいのあなたになっていくのだから🍀