いつでも何かしらに対して、不平不満や愚痴を言っている人を見ると思う。
この人は、何かが心から満たされていないのだと。
奥さんや旦那さん、子供、両親や義理の両親など、家庭関係がうまくいっていないのかもしれない。
結婚願望があるのに出逢いや婚期に恵まれず、表には出さないけれど焦っているのかもしれない。
独身時代にやりたい事があったけれど、結婚後すぐに子供ができて夢絶たれたことで、その想いを拭いきれず理想と現実との間で悶々としているのかもしれない。
人知れず、不治の病に悩み苦しんでいるのかもしれない。
物質的には満たされているけれど、表面的な付き合いばかりで心から信頼できる人がいないのかもしれない。
自尊心が満たされない環境にいて、自分をもっと認め褒めてほしいと思っているのかもしれない。
幼い頃に愛情を注がれなかったことで、本当は愛や優しさを求めているのかもしれない。
文句や愚痴が多い人の心理的背景はそれぞれに異なるが、悪口や陰口、不平不満が多い人は、決定的な何かが満たされていないのだ。
その人の根幹となる何か。
その人の魂が求めているもの。
今まで得てきたあらゆるものや、エゴが得たいと思っているものを超越した、その人の魂が本当に望んでいるもの。
それが満たされていれば、「何事もお互いさま」と寛容に思えるし、人の感情は誰しも移ろいやすいことを配慮して、思い遣りを持つことができる。
自分を愛し優しくするように、相手も愛し優しくすることができる。
人だけでなく、自然の摂理やお恵みをも感じとり、心から感謝できるようになる。
これは、怒ってはいけないとか苛立ってはいけないなど、否定的な感情を感じてはいけいないというわけではない。
喜怒哀楽は、人間の自然な現象だから。
大事なのは、怒りへの執着を手放すことだ。
いつまでもそこにしがみつくから、怒りが怒りを呼び、いつまでも愚痴の連鎖から抜けられなくなっているだけ。
愚痴を言ったその瞬間はスッキリしたり、その場の人と連帯感を持った気がしているのかもしれないが、カウンセラーとのカウンセリングでもない限り、愚痴を聞いた相手は正直辟易していることだろう。
何より、自分が放った負の言霊は、対象が誰であったとしても、また自分に負の現象を引き寄せてしまうのだ。
この負の連鎖を断てば、本来こちらにやってくるはずの幸や豊かさが開通し始める。
その人の人生にとって意味があり本当に大切なことが、何かしらの方法で満たされ始める。
皆それぞれに人生があり、今世やるべきことがある。
趣味嗜好も多彩で、どれが正解不正解もなく、尊い価値ある時間が流れている。
相手が見せる姿もたったの一面に過ぎず、いろいろな面があるもの。
出来事の背景を感じ取れば感じ取るほど、執着は和らいでいく。
どのような場面にも、気づきや有り難さなど、感謝できることがたくさんある。
そして、起きる出来事がなんであれ、その人の魂の成長にとって意味のあることが起こっているのだ。
このブログをご覧になっているあなたが、愚痴を言う人がいる環境にいても、愚痴を言うことが多い人であっても、あなたの人生がより豊かで幸せになっていくための本質は同じだ。
まずは、自分が感じる感情を尊重してあげること。
包み隠さず、我慢せず、正直に感じていい。
その感情への対処の仕方を工夫してみる。
怒りがどうしても強いなら、激しい運動をしたり物を壊したり、紙に書き出したりして、物理的に怒りを外に出すといい。
人に当たったり悪口を言ったり、自分の内に負の感情を溜め込むよりもずっといいから。
そして、愚痴や不平不満が多い人がそうなってしまった背景を感じ取ると、その人を俯瞰できるようになり、愛を持って接することができるようになる。
どれほど愚痴が多い人に出会っても、「あなたに最高の幸せが訪れますように」と思えるくらい寛容になれた時には、あなたは物質的にも精神的にも満たされた現実を生きていることだろう。
あなたが愚痴をよく言ってしまう人なら、そんな自分を愛し許し受け入れてあげて、その後で「自分は幸せでいるに値する」と言ってあげよう。
あなたの中にいる本当のあなたに。
あなたが幸せを心から受容するからこそ、あなたの元に本来の豊かさが流れ込んでくるようになるのだ。
すべては繋がっている。
自分の思考が誰かに。自分の言霊がどこかに。
時間差はあれど、それは何かしらの形で、巡り巡って自分に返ってくるもの。
あなたがこれから口にする言葉は、どのようなものだろう。
相手を見る目は、どのようなものだろう。
きっと今のあなたは、本来のあなたになっている。
あなたの魂は、真の愛と豊かさを受け取る準備ができていると、あなたに向けて叫んでいるのだから🍀