ヨーガ・スートラという2000年以上前の時代を生きた賢者が生み出した、叡智の書に出てくる偉大な言葉がある。
チッタ・ブリッティ・ニローダハ。
これは、動作と思考の完全なる静止の状態を意味する。
動作の静止は容易いことだろう。
椅子に腰掛けたり、今行っている動作を止めるだけでいいからだ。
しかし、思考の静止は容易ではない。
身体は止まっていても、思考は常に動き回り忙しなく、あれこれと心配したり苛立ったり、楽しさや嬉しさに意識を向けているものだから。
そう、思考は意図的に静止する環境にしないと静止しない。
チッタ・ブリッティ・ニローダハの目的は、動作と思考が静止した先に感じることができる神との結合であり、神との繋がりを思い出し強固にする神聖なものだ。
それは言語を超越しており、言葉にすることができない。なぜなら、言葉になる時点で思考が動いているから。
だからこそ、一人ひとりが自ら体現することで、その境地に至ることができる。
何者にも変え難い安心感、幸福、豊かさ、自分とは何者なのかという真理がそこにある。
あなたは日々の中で、心落ち着ける静寂な時間をしっかりと確保しているだろうか。
人によっては何日か掛けてこの世的なことから離れ、心身ともに平静になる必要があるだろう。
もし、多くの人間がそのような神聖な時間を確保しているならば、喧嘩や戦争、悪口陰口、不平不満、いじめといった類の負の出来事は消滅していく。
お互いを思い遣り、尊重し、愛を持って生きられる豊かで幸せな心地よい世界になっていく。
チッタ・ブリッティ・ニローダハを通して、一人ひとりの魂が神との繋がりを思い出し静寂さと共鳴するほどに、心身が浄化され、波動が上がり、あなたをあなたとして創造した神の崇高な流れとともに動き始めるようになる。
生きている以上、どうしてもエゴは前に出てきがちだ。
喉が渇いた時に水を飲む動作もエゴの成せる技。
けれど、日常の中でエゴを優先させてばかりだから、いつまでも万物が幸せにならないのだ。
一人ひとりがチッタ・ブリッティ・ニローダハを体現した時、自分が何者なのかを悟ることができる。
心が洗われ、日々のいざこざが馬鹿馬鹿しくなるくらい平静になれる。
そうしているうちに、なぜか現在の状況が、自分にとってすべてうまく動き始めるのだ。
それは、神の流れに順応したからこそ。
エゴによる考えを超越した流れに身を任せることで、神が自分という存在を成した真の目的を自分を通して行い始める。
行為者主体と結果を捧げ、ゆだねるということ。あなたを創造した神の崇高な計画に奉仕することで、あなたも存分に受け取れるようになる。
あらゆる幸を。あらゆる豊かさを。
その方法、手段、対象は、神のみぞ知る。
あなたの人生にとって必要なことは、神の恵みの深さを通して、満たされていくようになっている。
その回路を拓くべく、あなたは神との結合を思い出す必要があるのだ。
この過程では、どうしても動作と思考を静止し、エゴを超越しなくてはならない。
チッタ・ブリッティ・ニローダハは、単に静かになることや何かを我慢すること、諦めることでは決してない。
むしろ、あらゆる幸と豊かさを与え受け取るための回路が開通し始めるのだ。
この世的な何かを得たり、何かを成し遂げても心が満たされない人。
人生が嫌になり辟易している人は、神との結合を思い出すタイミング。
この世的なことから一旦離れて、動作と思考を静止させてみよう。
リラックスして、呼吸に集中するだけでいい。
あらゆる重荷を神に捧げよう。
あらゆる悩みを神に捧げよう。
現在の状況をそのまま捧げ、ゆだね、導かれればいい。
あなたが平静であればあるほど、神の導きを感じ取れるようになる。
あなたを創造した神は、あなた以上にあなたをご存知なのだから🍀