心身を落ち着けることは、福を招くために大切だ。
というと、身体を動かすのをやめて瞑想を行う人もいるだろうが、目を閉じているその時、思考をも静止している人は少ない。
せっかく瞑想をしているのに、思考はずっと動きっぱなしで、あれやこれやとこの世的なことを考え続けている。
だから、いつまでも日常が忙しなく、慌ただしく、緊張や怒りや恐怖、競争、争い、貪欲といったエゴによって作られた観念に、自分自身が奴隷になってしまうのだ。
真の平静さは、あなたが心身を落ち着かせ、思考をも落ち着けた時にやってくる。
何も難しいことはない。
身体をリラックスさせ、目を閉じ、息の流れを感じてみればいい。
臓器があなたの意図と関係なく動いていることや、あなたが吸おうと思っていなくても、自然に空気が体内に出入りしているというその崇高な感覚を感じてみる。
神聖な流れによるお恵みに意識を集中していると、思考が落ち着きを取り戻す。
そうした真に心が静まる時間を大切にしていると、自分が何者なのかが分かってくる。
ほんとうの自分になっていくのだ。それは、言葉や映像ではなく、感覚で感じられるもの。
この平静さを得られると、あらゆる出来事に対して喜怒哀楽を感じた後も、自ら平静になれる。
いつまでもネチネチと何かに怒りを感じることもなければ、いつまでも悲しみに暮れることもなく、どれほど歓喜することがあっても驕り高ぶらず、謙虚になれるのだ。
自ら陰陽のエネルギーの間である中庸に戻り、それを維持している人に、良いことが起きないわけがない。
福が自分の想像を超えた形で、自然に引き寄せられてくるようになる。
あなたをあなたとして創造した存在は、言語を超越している。
姿形にもとらわれないので、あなたが心身を落ち着け、思考をも静止させることで、あなたの中に平静さが表出する。
その過程はやがて、あなたの人生に福を自然に招いていく。
日々の混乱した思考を一旦手放し、真のあなたと繋がる時間がいかに重要か。
どれだけ財を成していても、どれだけ地位名誉があっても、どれだけ有名でも、あなたの中に平静さがない限り、真の幸せは得られない。
何かを得ても何かを成しても、なぜか心から満たされなかったり、現実への不満から、恋焦がれる遠い遠い未来ばかりに思いを馳せていても、満たされることはない。
あなた自身が、豊かさの源なのだから。
あなたのエゴではなく、平静さの中で自分の源に対して拓くからこそ、あなたにとって必要なことが満たされ始める。
あなたが本当に求めているものが見えてくるし、あなた自身が、なぜ今を生きているのかという崇高な答えも見えてくる。
老化や病気、死への恐怖も、平静さを確立するほどになくなっていく。
エゴに執着しなくなり、内なる神聖さを優先できるようになるのだ。
心の平静さが、福を招く。
心身と思考を静止させる時間を、ほんの数分でも取り入れてみよう。
いつでもどこにいても、誰でも簡単にできるのだから、やらないなんて勿体無い。
あなたの人生に、あなたのエゴを超越した力と、福がもたらされる崇高なエネルギーの流れを感じられるようになるだろう🍀