あなたがどこにいようと何をしていようと、いつでもあなたは、あなたの人生の完璧な流れの中にいる。

あなたを「あなた」として創造した神の豊かさと愛によって守られ、導かれている。

毎瞬が、神との共鳴だ。

 

あなたは、何かが叶った時や願望が実現した時だけが神のお陰だと思っていたり、たくさんの望みを叶えてもらうために神に祈っている人かもしれない。

 

驚くかもしれないが、神はいつでもあなたの中にいる。

あなた自身が神の化身であり、あなたという今世だけの身体に宿り、あなたという唯一無二の人生を今に生かしている。

あなたという魂として、あなたといつでも一体。

 

つまり、あなたは神の豊かさや愛そのものだということ。

いつでもどこにいても何をしていても、あなたは価値ある瞬間を生きている。

 

この神との神聖な繋がりは、誰でも生まれながらにして持っているものなのだが、今までの環境で出来上がった固定観念や執着、見栄によってその繋がりを忘れ、見えなくなっているだけなのだ。

そして、外へ外へ、自分を幸せにしてくれる方法や場所、人物を追い求め続けてしまう。

 

追い求めなくても、あなたが神との繋がりを思い出した瞬間から、あなたの人生にとって必要なすべてがあなたの元へ引き寄せられ始める。

あなたが自身の神聖さを認識するほどに、エゴの制約から解放され、エゴの考えでは思いもつかなかった方法で事が自然に、かつ正当な方法で見事に展開していくようになる。

 

 

ここでの神は、便宜上、神という単語を用いているだけで、宇宙でも天使でもアメノミナカヌシでもいい。

クリシュナ、ラクシュミ、大日如来など、あなたがイメージしやすく親しみを覚えるものでいい。

単語という姿が異なるだけで、あなたをあなたとして成した根源的実在という本質は一緒だから。

 

そして、その本質とあなたは一つ。

あなたは崇高な豊かさと愛そのものであり、あなたの人生にとって必要な幸を、あなたは十分受け取るに値するのだ。

 

あなた自身が、「自分は受け取るに値する。なぜなら、神の豊かさと愛そのものだから」と思い出すこの過程が、あなたの人生にとってのパラダイムシフト(切り替わり、転換期、魂の飛翔)となっていく。

 

それがどのような形であなたの前に現れるのか、その方法と時期を知るのは神のみ。

 

あなたが無理に知る必要もないのだ。

あなたはリラックスして身を任せ、目の前にあることを、今この瞬間を、淡々と愛を持って取り組んでいけばいい。

日々過ごしていく中で受け取るメッセージや合図、「ふとこう思う」といった直観を無視せずその導きを信頼してみるうちに、出逢うべき人に出逢えたり、起こるべきことが起こったり、得るべきものを得られるようになっていく。

 

なにより、あなた(エゴレベルでの)が何を望み、それが実現しようとしまいと、あなたの人生にとって大切で必要なことは、神の不可思議な恵みの中で確かに満たされていくから、心配や恐れを手放して、神の崇高な流れの中で、神のタイミングによって展開していくということを思い出せばいい。

 

そして、すべてが神のもの。

 

だから、あなたが執着したり喪失を恐れる必要もない。

日々リラックスして心身ともに軽くなるほどに、あなたは神の流れに乗りやすくなっていく。

 

エゴで縛りつけられ重くなっていると、神はあなたを本来の場所へ運べない。

神はあなた以上にあなたの人生をご存知なのだから、あなたが本来受け取るべき幸がある環境へと導かれた方が、心地よく快適に、あなたは得るべきものを得られるようになる。

 

 

あなたが真に自分が何者なのかを悟り、歓喜し、その恩恵とあたたかさ、安らぎを心から感じられた時、あなたの現実に起こることが、より良く変わっていくのだから🍀

 

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